制作委アピール

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<制作の動機:「表現の自由」を脅かす公の場の「忖度」>

 

 二つの事件:都美術館「作品撤去要請事件」 さいたま市「九条俳句掲載拒否事件」
これらは、原発事故や大地震のように直接ひとの生命に関わることはないだろう。しかし、事件の引き金と思える公の側に蔓延する「忖度」はどうか?―「慰安婦」写真展の中止、学校図書館から「はだしのゲン」排除、漫画「美味しんぼ」への閣僚の不快表明、教科書パネル展への右派議員の牽制攻撃、…。「事件」の度に問われる「表現の自由侵害」
これらの「事件」は皆、先の戦争、歴史認識、政治の責任、人権、平和―今を問うキィ・ワードと結びついている。その問いを恐れ、嫌う者たちがおり、傍らには、その意向を忖度し、恐れや不快感をいち早く察して、取り除こうとする輩が控えている。
忖度や恐れ、不快感は、気分で諮られるために説明も論理もない。いつも唐突で強圧的だ。そして、基本的人権にかかわる自由への暴力として現れる。その侵すものは表現に始まる様々な自由、人権、ひいてはこれらを保障してきた憲法。そして平和だ。

 

<上映を介した「話し合いの場」づくりを>

 

 無関係に見えた二つの事件は「表現の不自由展」で場を共にし、事件当事者はそれまでのプロセスを踏まえて、持続する次の段階の表現へと離陸する。
 
「子供たちに謝罪を続ける宿命を負わせてはならない」―「慰安婦」補償に臨んだ首相の発言―響きは良いが、前提が必要だ―彫刻家の目に映るドイツの「負の歴史」総括、「過去」への謝罪と責任、ベルリンの画廊オーナー祖父が記した皇軍の暴虐と冷厳な事実の確認。
一方、政治の話をしたり、「反戦」の語を声に出すのがためらわれる時代―公民館の「不掲載」通知に「怒り」「おかしい」と声に出した俳句会員とそれに応えた市民は今、共に行政の忖度が生んだ「公平中立」の嘘と「表現」を脅かす「時の正体」を視野に捉えている。
 
 二つの事件当事者が直面した「青天の霹靂」「えぇっ、何でぇー?!」があちこちで続発する今、「事件」のもたらす戸惑いとやり場のない憤懣を地域=市民が分かち合い、語り合う―本編の上映を介して、そうした場作りと運動の展開を提案致します。
詩人、茨木のり子がいう―「内部からいつもくさってくる桃、平和」―戦後70年、この国が謳歌してきた平和は既に腐り始めているのではないか―映画の問い掛けです。
 
本編の上映・拡大はできる限り、地域の市民/運動団体の手で、と強く願っております。
お近くの公民館、地区センターなどでの上映を進めて下さるようお願いします。
 
(2016年8月28日 松本武顕)