2018年8月21日滋賀大学教育学部「レジャーと生涯学習」

Pocket

滋賀大学教育学部「レジャーと生涯学習」2018.8.21

(誤字は、原文のまま)

・表現の自由が認められているはずの日本で見えない力によって圧力がかかり、意見が自由に言えない、機会を奪われることが現実にあって未だに対立しているのが悲しくなった。本当の平和を得るには、過去の過ちから目をそむけてはならないし、現政治を見つめることは必要だと思う。批判するのではなく、批評する、対等な立場で1人の人間として考え対話することができなければ、公平・中立は守られないだろうと思った。 20代

 

・負の遺産を含めた自国の歴史や過去と向き合うという点で、日本とドイツには大きな違い

があることがよくわかりました。そのことは、ドイツが国として資料を残したり、つまづ

きの石が設置され、それらが認められていたりすることからも、ドイツが罪を記録として

残そうと決意していることの表れだと思います。その反対に日本は過去の歴史や罪を忘れよう、隠そうとしているということが、美術作品や俳句が見えない力によって圧力をかけられるということから分かり、非常に衝撃的でした。私は今まで戦争の被害者は日本だというイメージが強かったですが、それは、過去の日本の罪を隠そうとする日本の教育を受けてきたからなのかもしれません。「若者に罪はないが責任がある」という言葉がありましたが、本当にその通りであると思います。過去の日本の加害者の側面を含めた歴史を知り、決して忘れないという責任が全国民にあると強く感じました。芸術家や俳句を作る方々にも「見えない力」からの圧力に負けずに作品をつくりつづけていただきたいと思います。  ⒛歳未満

 

・「公民館だよりは句づくりの励みだ」との発言があったように、公民館を通じて住民が学び、思想を深められるべきで、そのための公民館なのだと思います。そこで俳句という文芸作品の言葉選びが政治とからんでいるからと言って、政府にお願いして発信するような不自由な感じが生まれるのは、ただただ違和感だなと感じました。本来、自分が表現したいものを素直に表現できてこそ作品と呼べるのであり、自分の作品を見てただ笑ってほしいと思っているだけなのに、「何も問題が起こらないように」自分の思いに反したものが出来上がるのは、何の意味があるのだろうと疑問に思いました。

20代

 

・映画の中でドイツと日本を比較していて、戦争は負の遺産だと思うが、遺産は遺産である。過去の過ちをいかに未来につなげるかが大切であると思う。日本はドイツを見習うべきであると思った。九条俳句では、男の人が公平中立は真ん中をとるのではなくて、AもBもCもDも同じように扱うことだと言っていたのが心に残っている。私は戦争がどんなものであったかの映像や史料、学校の授業、祖父母の話でしか知らないが、平和と自由がどれだけ尊いものなのか、映画を見て知った。最後に、ホロコーストの棺を表す石が両サイドにあって、その真ん中に道が通っている映像をみて闇の中に光の道があるように見えた。  30代

 

・表現の自由ということについて改めて考えさせられました。中垣氏の事件については、自分の表現したいことが変わっていき、たどり着いた先が社会を表現する形であったということに関して、政治を偏った見方で表現することが全否定されたことに驚きました。芸術家としての訴え方の一つを認められない立場と、税金も使う美術館で展示する責任のある立場は難しい問題だと思いました。俳句事件については、自分の経験と客観的に見た情景、願いの込もった作品をはねのけられたことに驚きました。人の見方をどこまで想定するかということは難しいと思いました。どちらの件も、表現をした側は強い思いをもっていることが分かりました。  20代

 

・自分の思いを自由に表現できるというのは見せかけのものであると感じました。

実際には、社会がどういった方向に進んでいるのか、それを把握しておくことが必要とされていて、反社会的なことは持ってはならない、もみ消されてしまう。

9条俳句訴訟に関して、今まで9条によって守られてきた平和、戦争について話を聞いただけの私でも、もう一度起こるかもしれないとなれば恐怖でたまらないのに、経験されてきた年代の方々にとっては、知っているからこそ絶対繰り返してはならないという気持ちは強いと思います。いろいろな意見があってこそ、社会にとって最善はなにかを考えられると思います。表現の自由をうたっているからには、住民にそれができる場をちゃんと用意されるべきだと考えました。  20代

 

・公共性や表現の自由とは、一体誰のためにあるのだろうと思った。

表現の良し悪しは、個人が判断すべきであり、行政によって制限されるべきではないと思う。しかし一方で、日本では学校など公共の場で政治に対して偏った思想を主張したり強制するべきではなく、社会においてもそういったことを公にする人は少ない。そのため、中垣さんの作品や俳句が、批判、非難されるのはある程度当然だったのではないかと感じた。(個人的には九条俳句は政治性が薄く、そこまで問題でないと思ったが、)

私自身は政治に対して興味が薄く、それは言い換えると、思考することをやめてしまっているのかなと思う。もっとこれからの社会を担っていくのは自分たちであるという責任を自覚し、批判の目を養っていくべきだと感じた。 20代

 

・映画の中に登場した人たちのように自分たちの思っていることを行政に対して言う、表現することができる人はそういません。選挙にさえも行かないなど、行政に足しての期待や関心が薄まっている中、行政に対して言う彼らを素晴らしいと思います。 20代

・ドイツと比較してみることで、日本とドイツの戦争と作品に対しての向き合い方が異なっているということを感じた。芸術家にとって作品を通して何か自分の意思を伝える手段あるのに、そういった手段をなくしてしまうのはどうなのかなと、思いました。

また、戦争があったという事実に対してのドイツとの差に驚きました。日本も向き合い方をもう一度見直してみるべきだと思いました。その場だけでの表面的な処理の行ない方や上からの見えない力を感じた。  20代

 

・最初、私は、この映画に出演している人たちの考えに共感できない、わからないと感じた。社会に出してはいけないし、私自身が公共の場でみたくないと率直に思った。しかしそれは、今まで持ってきた社会の一般的に従った判断で、彼らの主張の根本をみると理解できるものだった。ただ今の日本を批判しているのではなく、人々のあり方についてまっすぐに考えていることがわかった。日本は歴史上の罪をなかったことのようにしていて、ドイツの地面にうめられたプレートは、殺された人たちをもとの家に帰してあげるという意味だという会話のシーンが印象に残っている。  20代

 

・私は戦争に対する認識が、今まではまちがっていたのではないかと感じた。

日本は原爆を落とされ、大きな被害をうけて負けた、どちらかというと被害者というような側面ばかりが伝えられていると思うが、実際は日本にもアジア諸国に対して犯した罪があって、それは忘れ去られそうになっている。ドイツの芸術を見て、美しいものだけではなくて、過去に起こった出来事の負の遺産であっても、歴史は次世代に語りつがれていかなくてはならないと思った。そのために必要なのはアーティストがつくる芸術作品であって、芸術は、多くの人が歴史を知るための重要なものであると思った。  20代

 

・映画の中で彫刻作品が撤去された例では、美術館は税金で成立しているため、政治的に中 立でないといけない、俳句の例では意見が二分するものの片方だけを掲さいすると、それが公民館の意見だと思われてしまうとされていた。しかし、異質なものの存在をなかったものとし、臭いものには蓋をするといった考え方では、二者の交流が全く行われない。異なる意見を知った上でしか、自分がどちらの立場にいるのかもわからないと思うので、自分と違ったり、世間的に少数派や、反感をかうような表現も、受け入れ、それもふまえて、自分の意見を確立すべきだと思った。  20代